転がりながらボールをレシーブし、その反動で起き上がる技。大松博文監督率いる日紡貝塚バレーボール部が1961年頃に生み出した。
当時大松監督は、手足が長く守備範囲が広い外国人に対して、日本人はレシーブ時に尻もちをついてしまうことに頭を悩ませていた。そこで柔道の受け身のように飛び込んでレシーブし、すぐ攻撃に移る体勢をつくれる回転レシーブを開発した。自分から遠い場所に打ちこまれたボールも拾うことができ、守備範囲は大きく広がった。
なお、この時期の日紡貝塚女子バレーボール部、および同部から多くの選手が選ばれた日本代表は東洋の魔女と呼ばれ、世界選手権や東京オリンピックで優勝するなど、日本女子バレーボールの黄金時代を築いた。
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