1961年の日紡貝塚女子バレーボールチームに名づけられた愛称。1962年の世界選手権と1964年の東京五輪女子バレーボール日本代表チームも同様に呼ばれる。
1961年日紡貝塚女子バレーボールチームが欧州遠征で22連勝をした。対戦相手の中には強豪ソ連も含まれており、ソ連の地元新聞に「東洋の魔法使い」と呼ばれ、驚きをもって報じられたことから東洋の魔女という愛称が生まれた。1962年の世界選手権では、7戦全勝で優勝。トータルで落としたセットはたったの1回という驚異的な強さを見せた。1964年の東京五輪でもソ連との決勝戦を制して優勝。東京五輪の決勝戦で米国のテレビ局コメンテーターが、「オリエンタルウィッチ」の呼び名を連発したことで、この愛称が広く知られるようになった。
回転レシーブや、変化球サーブといった技を生みだしたのも、この時期の日本女子バレーチームである。
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